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プログラマが遺すのはコードだけではない

去る7月11日に任天堂の岩田聡CEOが亡くなっていたという月曜日の衝撃的なニュースを受けてつらつらと思うことを。

岩田さんといえばHAL研究所なのですが、若い人にはHAL研究所といえばカービィの生みの親、という程度の認識かもしれませんね。
HAL研といえば、8bitパソコンが全盛だった頃の昔にはマニアックなハードウェア(NEC PC-8001用のキャラクタージェネレータ・PCG-8100など)やゲームを初めとした当時としては大変高度なソフトウェアを大量に世に送り出し、あの時代のパソコン界隈では知らない人はいない企業でした。
もちろん、僕もそういう時代にパソコンに触れ始めた世代です。当時田舎の貧乏中学生にとってはハードもソフトも高価だったので実際に購入したりは出来なかったのが少し残念です。
改めてHAL研究所のことを思い出してみたり、ネットにアップされている当時の情報や懐かしい画像を眺めていると、自分などは単にスゴい人やモノに憧れていただけで、自分では何も作り出せてはいなかったなと痛感します。

プレイヤーとしての自分はスーパーファミコン以後の任天堂は余り好きなメーカーではなく、ゲームプログラマとしての自分がゲーム業界で生計を立てていた約15年の間もたったの一度も任天堂のハードでのお仕事は一度もお受けすることはありませんでした。
任天堂は僕から見るといろんな面でゲーム業界に対するスタンスが保守的かつ閉鎖的であり、ハードウェアに対する考え方も少し自分のポリシーとはずれていたせいもあり、ハードウェアベンダ/コンテンツホルダ/プロバイダとしての存在には余り思い入れもありませんでした。
そんな任天堂のドンであった山内元社長が、42歳という岩田さんを次期CEOに指名抜擢されたときは「もう任天堂も古臭いままではいられないんだな」という明るい未来を感じたのは事実です。
何より、開発現場生え抜きのゲームプログラマ出身の人が世界的企業の社長にまで上り詰めるなんて、最高のドリームだと思いました。

そのときは。

NintendoDSの成功や、MOTHER3の再起動、ニンテンドーダイレクトの展開などは岩田体制のおかげで比較的うまく行ったものだろうと思います。
しかしその後、Wiiは画期的で当初のインパクトはあったものの失速し、その後Nintendo3DSやWiiUへの道のりを見ていると、今思えば色々と苦心はされていたのだろうことはわかりますが、果たして岩田さんは任天堂を新しく変えることが出来たのだろうか?というと、僕としては「ああ、これからだったのになあ」という嘆息しか出ません。

現役のリーダーが若くして死んでしまうのは、とても、とてもつらいです。

皆様も御身大事に。
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テーマ : 任天堂
ジャンル : ゲーム

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